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松木氏ありがとう

 投稿者:あきやま  投稿日:2010年 8月24日(火)19時01分41秒
返信・引用
  松木くん
早速ありがとうございます。
google.docテスト、まだ試せてないっす。

自分の書き起こしテキスト、もう一度見直してから、掲示板に載せたいと思います。
しばしお待ちを…
 
 

書き忘れ

 投稿者:matsugi  投稿日:2010年 8月23日(月)21時40分0秒
返信・引用
  ↓これで参照できれば便利だろうか?
 編集できるかどうか試してみたら、教えてください。
 

向井先生辞書@google.doc

 投稿者:matsugi  投稿日:2010年 8月23日(月)18時30分59秒
返信・引用
  文書共有の実験。
誰でも編集できるはず。

https://spreadsheets.google.com/ccc?key=0AnH4YcTXZ6bEdGpyTnhKNjdTYzhISE1WUlNiTDVWdlE&hl=en
 

google.docテスト

 投稿者:matsugi  投稿日:2010年 8月23日(月)18時23分5秒
返信・引用
  https://docs.google.com/document/edit?id=1ypt4vUUPd7xWAOLi_tgQEn4rlPccLFgQce4KCIvSwP4&hl=en  

奥窪さん分改稿

 投稿者:matsugi  投稿日:2010年 8月22日(日)21時22分44秒
返信・引用
  奥窪さん分改稿~。
確認ください。

(第一日目49:41~)
まずなんか自分が実感としてなんか分かったとうことを言いたかったわけですけれども。
そういう内的な環境と外的な環境ってものが別のものではないんですね。
まったく切り離したくはないわけなんです。

当たり前のことですけど、人間というのは宇宙内に存在している、さらにいえ
ば自然内に存在している。しかも生命体であるわけですから、いくら文明を持ち、私たち固有の文化を持ちというふうに言ってもですね、自然の一部に違いないわけです。
これ厳然たる事実で、ですからそういうふうな存在としての人間、自然の一部としての人間っていう意味ではまさに、よく人間は身体は小宇宙であるっていうのはそう言う意味なんですね。
で大きな外宇宙と小宇宙、その関係として私たちは把握してなければならないというふうに思います。
その人間の身体の拡張という問題、今ここに図をかいてありますけど、この図は人間の自然社会、それから農業社会、産業社会、情報社会、こういうところに近代の産業革命が生まれるわけですけど、こういうふうに社会のあり方が大きく変動してきます。発展してきます。で一種の定住の領域、人はそんなに移動しない、遊牧民領域っていうのにもある一定の領域がありますし、それから行動の領域、それから、産業の領域、情報の領域、っていうのは拡大してきて、人間が使う道具も幾何学的な形態、いわゆるかたちだけで、あるひとつの形状だけでかたちが成り立ってる。たとえば、お湯のみとか容器なんかまさにかたちだけで成り立ってますし、それから狩猟する道具、木を切る道具、斧とかとか鏃とか石斧とかそう言ったものは形状だけで成り立ってる。そう言う一種の幾何学的な形体から成り立ってるものから、ちょうど強度を増幅していくようなそういうものが生まれていく、それからエネルギーを変換していく様なものが出てきて。それからちょうど情報機械ってのがでてくる。それが十九世紀末頃からでてくる。それで、現代はまさにコンピューターの時代になったわけですけども、この非常に身体性を持った身体の道具からのいわゆる関節がこう外化していく。道具へとかわっている。こういう関節の機能ですね。それから筋肉の機能が外化していく。道具へと変換していく。それから神経的なものが外化していく。道具へと変換していく。そういう風に文明が進んできている。で、プリントの方に書きましたけど、絶えず人間の身体と文明的な身体は技術がつくりあげてきている我々のつくりあげているいわゆる文明というものは、ひとつの技術的な連関というものなんですけども。特に日本の哲学者の今道友信さんなんかは、技術連関という言葉で呼んでますけども、それとしての、私たちが環境と言った時には生活世界が根底にあり、技術連関のレイヤーが非常に層を成している。そういう中に我々は生活しているわけです。ですからこう人間の身体と同時に、人間の身体といった時にはどこかでああいう生活世界が広がってる。それと文明的身体、人間がつくり出した文明としての身体。第二の自然という言い方もしますけど、そういう技術連関のレイヤーが出来上がっている。

で、人間の身体機能ってのが、外化していくわけですね外へと、で、外在化さしていく、それで今こうたとえば人工臓器なんかは人間の身体の中に埋め込んでくると言う事をするわけですから、あるいは新しく再生医療なんていうのも始まってきます、そういう意味では代替した代わりの機能を内化していく、内在化していく。そういうようなところに人間の文明というのは来ています。

身体の投影としての道具とか機械とかによる、新しい人間自身ではない機械や道具による、新たなコロビウムみたいなものが、展開されてきている。最初は直接的な身体そのもの、が投影、外化、形態のみで成り立っている幾何学的な道具、棒状のものとか棍状のものとか、器状のものとかですね。棍状のもの、あるいは棒状のものというのは非常に男性的な、ひとつの道具ですけども、器状のものってのは、女性の母体のように非常に女性的な、母性的なものですね。この段階までっていうのは、先ほど私は観念的には分かっているけれども、実際には実感としてつかまなかったという問題にも関わるわけですけれども、この段階までは、我々が自分自身でもでも知覚できるわけなんですね。たとえば、第二段階前まではある程度知覚できるわけなんですね。我々の関節機能と言うか自分でも動かしながらそのあたりまでは知覚できる。こう曲がるってのはこうですね。もちろんその今の、先ほども前に話しました、ちょうどこの食道からずっと胃を通って腸へ抜けると言う関係なんかはたとえばあついものを食べると随分食べると喉を通って熱い、それから熱すぎるとこう火傷するような、驚いてしまう。あるいは冬なんかはあったかいものを食べると食道を通っていくものはこう大変、心肺を潤してくれる、ていうことは知覚として分かりますよね。ですが、それ以降の筋肉の衰えとしてのこうエネルギーを変換していく蒸気機関車とかそういうのはエネルギーの変換機ですけれども、そういう風になってくると、全く知覚できない。先ほど言ったブラックボックス化したものになってくるわけですね。こうだんだん。ここに少し、プリントのほうに細かく書き込んでおきましたので、これをちょっと参考にしながら人間はどんな風に身体を外化してあるいは、機能を内在化してきたか、そういうことを想像して、これを手掛かりに想像してみていただきたいと思います。

それから文明空間の拡大と言う事ですけれども、ひとつはリージョナル・カルチャー、地域固有の文化というものですね。これは非常に生命性を持っているものなんですけれども、それと今やはり世界的に広がってきている、そういうグローバルな共有のカルチャーっていうものが出来上がっている。で、その上に文明というものが成り立ってまります。そういう捉え方が重要です。もうひとつは自然と、共生ですね。シンバイオーシス、とも言いますけれども、そういう自然との共生の思想。人間という生命体だけではない様々な生命と共存しているという視点ですね。それからデザイン運動の中でもって だいたい1919年に、今年が90年になるわけですけれども、バウハウスのようなデザインの運動があったわけです。そこでは芸術と技術の統一ということがありました。で、まあ古代おいては芸術も技術もひとつの概念に包括されていたわけですけれども、近代ってものは芸術と技術てものを分化させてきた、ですからそれを再統合していこうと言う事がひとつの理念とされた。現代においては、文化と文明というものを再統合していく、文化と文明というのは大きないま亀裂を生んでいますけれども、それを再統合していく視点が必要であると。で、ここにデザインの大きな役割もある。
それからひとつ、これは大分以前のデータになるのですけれでも、ロボット研究の森政弘さんの研究なんですが、ひとつの技術連関としての人工の義手です。その研究の問題なのですが、義手の類似性による親和度という問題なのですが、その技術というのは、どんどん増加関数的に進化していけば良いのかどうかと言う事に対しての、疑問を呈したものですね。それから人間の身体を外化していくっていということがありますけれども、そのジミュレーションていうものがどんどん、現実になんというんでしょうかね、たとえばロボットにしても、ロボットそのものが人間にきわめて類似してくる近くなってくる、そうすればいわゆるその良いという問題かどうか。そのことに対する、疑問を呈するようなひとつの研究。で、これは(1:03:40ごろ聞き取れず、国名?)でいちばん、義手の研究が進んでいると言われていますけれども、いまこの手なんかも、見ても義手だと言う事は分からない、ような皮膚感覚があるものができるようになっていて、それで動きも手の動きと同じような電子的に制御できるものができてきた。それによって森さんが研究した事によると、全くほとんどわからないような義手で持ってこうその握手をすると、握手をするとともに、見た目には親和感はあるのですけど、一挙に恐怖の谷へと落ちていく、でそれは何かと言うと、ちょっとした皮膚感覚の違いそれから温度差みたいなもの、そのほんのわずかなものなんだけれども、人間の知覚っていうのはそういうものを感じ取る、だから類似性が高ければ良いかどうかと言う事に疑問を呈するわけです。一挙に驚いて手を離してしまうそういう部分を「不気味の谷」と森さんは呼ばれている。たとえばその文楽人形等の、あるいは能面なんかもそうですけれど、誰もいない部屋の中にこう人形が暗い中にあったりとか、いわゆる能面だったりなんかそういう時に、非常に恐怖を覚えたりするって事がありますよね。
 

とりあえず

 投稿者:matsugi  投稿日:2010年 7月13日(火)21時10分2秒
返信・引用
  <meta charset="utf-8" />

<meta charset="utf-8" />

最初なので手間取っていますが、とりあえずあげておきます。
橋口くんのものに後ろを少しつけくわえています。
ドイツ工作連盟のところは、省いた方がすっきりすると思います。
枝葉をとった後に、つけくわえるようにした方がやりやすいと思います。

 皆さん、おはようございます。これから六回にわたって特別講義のかたちでお話をしてまいります。テーマが「現代デザインの課題と水脈」となっていますが、「デザイン」「身体」「ことば」「造形」「生活世界」「環境」「情報」「生命」というデザインの源泉となるような概念にふれながら、現代の課題を照射していくつもりです。<o:p></o:p>

 まずは、私の考える主な現代におけるデザインの課題をあげながら、話を進めたいと思います。<o:p></o:p>

ひとつは「デザイン―生の全体性としての生活世界の形成」です。私はこれまでデザインというものは専門なき専門である、という言い方をしてきました。デザインは分けることのできない、全体的なものであると考えています。その場合には、デザインの姿勢とは何なのかを問うこと、「生」の哲学というものが必要でしょう。<o:p></o:p>

 「近代のプロジェクト」を西洋ではモデルネModerne)と言います。近代というのはイギリスの産業革命以降を指しますが、そこでは自然科学を中心として、新しいテクノロジーによって機械文明が生まれてきます。そのなかでは、多くの人たちが機械産業を通して生み出されてきたものによって、新しい近代的な生活を営みますが、ただ単にそれが問題なのではありません。そうした技術や新しい生産システムを利用しながら、私たちの生活世界のあり方がどうあったらよいのかが問われました。デザインは、近代の様々な技術、生産手段や、資本主義社会といわれる経済活動といったものを、生活のためによりよく再編していく手法としてあったのです。<o:p></o:p>

 生活世界の形成に関連して「環境形成としてのデザイン」という概念があります。これは現在、注目されている環境問題なども含むものです。<o:p></o:p>

 「ポイエーシスとしてのデザイン」。ポイエーシスpoiesis)という概念は、現在文学の一つの領域になっているポエジー、ポエム、詩の元々の概念です。ギリシアのアリストテレスがこの言葉を用いましたが、これは特に詩学と自然学の中で提起されました。人が身体を動かして実際に何かをつくっていく制作行為を表していった場合に、自然や生命のふるまい、その生成発展の運動というものにもこの概念が拡張されています。私はアリストテレスが自然の生成、人の制作行為を共にポイエーシスと呼んだ意味というものを、現代の新しい次元で再生し、捉え返していく必要があるだろうと考えています。ですから、現代言われている詩的な意味も含みもったものとして、もっと統合的に捉えていく。そういった意味でポイエーシスというのはひとつのデザイン学に対応する概念として重要であるといえるのではないでしょうか。<o:p></o:p>

 「内的自然に根ざす近代造形原理の再編」。十九世紀末から二十世紀にかけて、芸術運動は抽象化の方向へと向かっていきます。その中で近代造形原理、デザインを考えたり、つくりあげていく上で重要な言語と言ってもよいものが提起されてきます。この方法論は、これまでデザインの観点からかならずしも十分に検討されてきているとは言えませんが、造形を考える上での源泉として再編していく必要があるでしょう。<o:p></o:p>

 「自己再生的文明の形成」。生命体というものは絶えず自己再生しており、同じではありません。私は一人の人間であって、ここには一つのアイデンティティというものがありますが、しかし、絶えず再生しています。文明の発達自体も、自然の生命的な営みとして、自己を再生していくべきであると思います。そのようなあり方に対応してデザインという行為を社会の中で考えていくべきだろうと。これは今日の環境問題ともつながるのではないでしょうか。<o:p></o:p>

 ちょうど一九九〇年代に入った時に、十年後に来る二十一世紀のあるべき生活世界、あるべき社会とはいったい何か、新たなデザインの課題とは何か、そういう新しい理念を考察するための「文明ラボラトリウム」というプロジェクトがありました。これは国際的なもので、さらには、デザイン分野だけではなく哲学や経済学などさまざまな領域を横断する学際的なものでした。<o:p></o:p>

 先だって日本では、石原東京都知事がオリンピックを招致しようとしていました。それに対して都市としての東京の二十一世紀を考えた場合に、むしろ東京のこの何とも言えない環境問題を、都市ともいえないような都市の問題をどう考えたらよいのかということと、それから貧困の問題を考えるべきであるという提言をしたサスキア・サッセンというアメリカの社会学者がいます。この人もこのプロジェクトのメンバーでした。「文明ラボラトリウム」の討議の場では、「自省的文明Reflexive Zivilisation)の形成」という概念が、二十一世紀を考える上でのガイドラインになりました。<o:p></o:p>


 

Re: 確認しました

 投稿者:bando  投稿日:2010年 7月13日(火)05時59分40秒
返信・引用
  > No.21[元記事へ]

お、二人とも朝まで起きていますね?
(・・・と、ぼくも起きているんだっけ・・・)
橋口くん、素早い対応どうもありがとう。
松木くん、校正のほどよろしくお願いします。
 

確認しました

 投稿者:matsugi  投稿日:2010年 7月13日(火)05時53分19秒
返信・引用
  橋口君
おつかれさまです。
ちょっとこれから直してみますね。
 

向井先生講義1_1

 投稿者:はしぐちメール  投稿日:2010年 7月13日(火)05時47分42秒
返信・引用
  先日の会で校正した原稿を下記にアップします。
なお、編集の参考になるように、
書き起こし原文も最後に記載しました。
今後は各自書き起こしたものに、
ある程度編集を加えたものを
掲示板や会合を通して校正をすすめていきましょう。

editing_ver- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
 皆さん、おはようございます。これから6回にわたって特別講義のかたちでお話をしてまいります。テーマが現代デザインの課題と水脈となっていますが、「デザイン」「身体」「ことば」「造形」「生活世界」「環境」「情報」「生命」というデザインの源泉となるような概念にふれながら、現代の課題を照射していくつもりです。

  現代におけるデザインの課題として、12個あげながらそれぞれを順番に見ていきたいと思います。
 「デザイン ー 生の全体性としての生活世界の形成」。私はこれまでデザインというものは専門のない専門である、という言い方をしてきました。デザインは分けることのできない、全体的なものであり、生の哲学というものが必要であるのです。
  西洋では「近代のプロジェクト」をモデルネと言います。近代という概念はイギリスの産業革命以降にはじまりますが、そこで自然科学を中心として、新しいテクノロジーによって機械文明が生まれてきます。多くの人たちが機械産業を通して生み出されてきたものによって、新しい近代的な生活をすることがただ単に問題なのではなく、そうした技術や新しい生産システムを利用しながら、私たちの生活の世界、あり方がどうあったら良いのか。そのために近代の様々な技術、生産手段や、資本主義社会といわれる経済活動といったものを、生活のためによりよく編集する手法としてのデザインがあったのです。
  生活世界の形成に関して「環境形成としてのデザイン」という概念があります。ここには今、注目されている環境問題なども含まれます。
 「ポイエーシスとしてのデザイン」。ポイエーシスという概念は、現在文学の一つの領域になっているポエジー、ポエム、詩の元々の概念なのですね。ギリシャのアリストテレスがポイエーシスという言葉をつかったわけですけれども、特に詩学と自然学の中で提起された概念なのです。人が身体を動かして実際に何かをつくっていく制作行為をあらわしていった場合に、自然や生命のふるまい、その生成発展の運動というものにもポイエーシスという概念が拡張されています。アリストテレスが自然の生成、人の制作行為を共にポイエーシスと呼んだ意味というものを、現代の新しい次元で再生する、捉え返していく必要があるだろうと私は思っています。ですから現代言われている詩的な意味も含みもったものとして、もっと統合的に捉えていく。そういう意味でポイエーシスというのは一つのデザイン学に対応する概念として重要ではないでしょうか。
 「内的自然に根ざす近代造形原理の再編」。19世紀末から20世紀にかけて抽象化の方向へと芸術運動が向かっていきます。その中に近代造形原理、デザインを考えたり、つくりあげていく上で重要な言語と言っても良いものが提起されています。近代に重要な方法論はこれまでデザインの観点から十分に検討されてきているとは言えませんが、造形を考える上での源泉として再編していく必要があります。それにも後にふれたいと思います。
 「自己再生的文明の形成」。生命体というものは絶えず自己再生しており、同じではありません。私は一人の人間であって、ここには一つのアイデンティティーというものがありますが、しかし、絶えず再生しています。文明の発達自体が、自然の生命的な営みとして自己を再生していく、そうあるべきだと思っています。そのようなあり方に対応してデザインという行為を社会の中で考えていくべきだろう、と。これは今日の環境問題ともつながってきます。20世紀の終わりにあたる10年前の2007年に、ドイツ工作連盟の100周年を記念して大きなイベントがヨーロッパでありました。ドイツ工作連盟は20世紀のデザインの運動において重要な役割を果たした運動体ですが、日本では戦前の活動のみで、戦後の活動はあまり紹介されていませんでした。これがちょうど1990年代に入った時に、10年後に来る21世紀のあるべき生活世界、あるべき社会とは一体何か、新たなデザインの課題とは何か、そういう新しい理念を考察するための文明ラボラトリウムというプロジェクトがありました。これは国際的なもので、デザイン分野だけではなく哲学や経済学などさまざまな領域を横断する学際的なものでした。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

以上が先日の会議で皆で校正したものです。
松木君、より精細な校正をよろしくお願いいたします。
(遅くなってごめんなさい)

なお、下記が書き起こしたままのものです。
少し長いですが、結果として上記の校正に至った流れを
理解するのにご参照ください。

original_ver- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

皆さん、おはようございます。今、小林先生がご紹介くださったように、今回、6回特別講義のかたちでお話いたします。シラバスには現代デザインの水脈として「造形言語と構造概念」「環境形成論」「情報理論と生命観」という3つのカテゴリーで書かれているかと思いますけれども、必ずしもそうした区分ではないかたちですすめたいと思っています。皆さんのお手元にプリントを差しあげましたけれども、一つは「デザイン学 -思索のコンステレーション- 刊行記念フェア 」という、「本とデザインの出会い」という、これは今、青山ブックセンターで行われていますけれども、それと同時にもう1枚、青山ブックセンターの「書棚の散策」というプリントがあります。これは、私が武蔵野美術大学を退任する時に行った講義があります。その講義を一冊の本にいたしました。それが『デザイン学 -思索のコンステレーション-』と言いますけれども、板東先生が装丁からアートディレクション全体をしてくださって、退任の頃、助手をしてくださっていた清水恒平さんが組版などをやってくださって、編集についてはやはり助手であった肴倉睦子さんがやってくださって出来上がった次第です。ちょうどこの出版記念に際して、青山ブックセンターでもって板東先生とトークイベントがあったわけですけれども、それに合わせて私がデザインというものを展開していく上でどのような本にふれてきたか、という部分を紹介してくださいという話だったものですから、「本とデザインの出会い」というコメントをつくりました。それと同時に青山ブックセンターに行って書棚をずーっと見ましたところ、必ずしもセレクトブックスの中に入れなかった様々な本について、私の『デザイン学』の中でも触れている本が随分と見当たりました。したがってもう一つ、「書棚の散策」というちょっとしたコメントをつくってみました。何かの参考になれば幸いだというふうに思います。
実は、私はどうもある時間の中でもって話しをまとめるというのが、この武蔵野美術大学で35年間くらい皆さんの前でお話してきたのですけれども、まとめるのが下手なのですね。ちょうど前に佐藤さんがお見えになっていますけれども、佐藤さんはまだ武蔵野美術大学に入られる前に、私の最終講義に来てくださって、ご両親が基礎デザイン学科の出身ということもあって、ご一緒に見えてくださったのですが、多分その時に経験されていると思いますけども、すごく長くなってしまって皆さんに大変ご迷惑をかけた次第です。今回の講義の場合には1時間半と決まっていて、次の皆さんの予定も色々あるわけですから、どんどんどんどん時間知らずにいつまでもやってしまうわけにはいかないと思っております。そんな訳ですから、なるべくまとめるようにしたいと思うのですけれども、どうしても話が盛りだくさんになりがちなものですから、今日用意したプリントもそういうきらいがありまして、なるべく要点だけをまとめて話ができたらと思います。もし、そのためにわかりにくいところがありましたら、むしろ皆さんコメントを書いてくださって、それに対して応答するというかたちを取らせていただきたいと思います。できれば質問があれば最後に質問をしていただいて、もしその時になければコメントを書いていただいて、次の時間に少し選択するかもしれませんが、できる限り必要な部分に関して応答をするということをしたいと思います。
講義の3つのカテゴリーを出してくださっていましたけれども、言葉に出していくとデザイン、身体、ことば、造形、生活世界、環境、情報、生命という概念にふれてデザインを語っていくことになるだろうという風に思います。現代デザインの課題と水脈となっていますように、今日のデザインの課題というものを考えた時に、重要な、まさに源泉となるようなデザインの考え方、そういう源みたいな問題に触れながら、むしろそこから現代の課題を照射していく、そういうかたちでお話したいというふうに思います。
私の考える現代デザインの課題と言った時に、プリントの2ページ目に1から12まで書き並べてありますけれども、一つは「デザイン 生の全体性としての生活世界の形成」。私は絶えずデザインというものが専門のない専門だ、という言い方をしてきています。デザインは分けることのできない、全体的なものであるという言い方をしてきています。その場合にデザインの姿勢とは何なのか、生の哲学というものが必要であると言っています。
近代のプロジェクトを西洋ではモデルネと言っていますけれども、近代化の中でもって、近代というのはイギリスの産業革命以降ですね、自然科学を中心として、新しいテクノロジーによって機械文明というものが始まってくる訳ですけれども、機械文明によって多くの人たちが機械産業を通して生み出されてきたものによって新しい近代的な生活をする、それがただ単に問題ではなく、そうした技術とか新しい生産システムとか、そういうものを利用しながら、どういう私たちの生活の世界、生活のあり方があったら良いのか。そのために近代の様々な技術や、様々な生産手段や、様々な資本主義社会といわれる資本による経済活動といったものを生活のためによりよく再編してくる。そういった手法としてのデザインですね。今、ここに社会改革の社会改革の手法としてのデザインという余計な言葉が入っていますけれども、そこは削除して考えてください。それから「環境形成としてのデザイン」。言うまでもなく今、環境問題は大変重要ですけれども、これはまた後にお話します。「ポイエーシスとしてのデザイン」。ポイエーシスという概念というは、現在ポエジーと言ったり、ポエムと言ったり、詩の元々の概念なのですね。ギリシャのアリストテレスがポイエーシスという言葉をつかったわけですけれども、特に詩学と自然学の中でもって提起された概念なのです。人が身体を動かして実際に何かをつくっていく、そういう制作行為を表していった場合に、自然や生命の振る舞い、その生成発展の運動というものにもポイエーシスという概念が拡張されています。今日ではこのポイエーシスというのはポエジー、詩という文学の一つの領域になってしまっていますけれども、アリストテレスが自然の生成の、人の制作行為ですね、それらを共にポイエーシスと呼んだ意味というものを、現代の新しい次元で再生する、捉え返していく。そういった必要があるだろうと私は思っています。ですから現代言われている詩的な意味も含みもったものとしてですね、もっと統合的なものとして捉えていく。そういう意味でポイエーシスというのは一つの制作学に対応する概念として重要だと思っています。「内的自然に根ざす近代造形原理の再編」。19世紀末から20世紀の芸術運動が抽象化の方向へと向かっていきます。その中に実は近代造形原理、デザインを考えたり、デザインをつくりあげていく上で重要な造形の原理、言語と言っても良いかと思いますが、そういうものが提起されています。必ずしもデザインの観点から十分にこれまで検討されてきているとは言えないのですけれども、私は重要な方法論というものを、やはり造形を考える上での源泉として再編していく必要があるという風に考えています。それにも後にふれたいと思います。それから「自己再生的文明の形成」ということですけれども、生命体というものは絶えず自己再生しているわけですね。絶えず同じではないわけです。私は向井という人間であって、ここには絶えず一つのアイデンティティーというものがあるわけですけれども、しかし、絶えず再生しているわけですね。その自然の生命的な営みであるわけですけれども、文明の発達自体が、やはり自己を再生していく、そういうあり方であるべきだと思っています。それと対応してデザインという行為を社会の中で考えていくべきだろう、と。これは今の環境問題ともつながってきますけれども、実は20世紀の終わりにあたる10年前に、ドイツ工作連盟という、これは20世紀のデザインの運動において重要な役割を果たした運動体ですけれども、日本では戦前の活動のみで、戦後は活動がなかったように思われていますけれども、実際そうではなくて2007年が100周年で、大きなイベントがヨーロッパでありました。これがちょうど1990年代に入った時に、10年後に来る21世紀のあるべき生活世界、あるべき社会とは一体何か。新たなデザインの課題とは何か。そういう新しい理念を考えたり、そのための文明ラボラトリウムというプロジェクトがありました。それは国際的なもので、また専門もデザインだけではなく哲学からも経済学からも集まる学際的なものでした。石原都知事がオリンピックを日本に持ってきたいと言っていましたが成功しませんでした。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

以上です。
 

(無題)

 投稿者:はしぐちメール  投稿日:2010年 3月21日(日)22時12分58秒
返信・引用
  つい先日、相沢先生と坂本龍馬について話をしました。
先生曰く「坂本龍馬は大っ嫌い」とのこと。
それは「龍馬は死の商人であり、また、
現在まで尾を引く文明開化の張本人であるから」
といった理由だったはず。
でも確かにそれはその通りで、
むしろそれこそが坂本龍馬の本質、
特に重要な側面のようにも思える。
ちなみに俺は龍馬大好きで
今も部屋に大きなポスター飾っています。

関野さんの自由論みたいなのは、
よく話としては出る気もするけれども、
本であるのかは分からない。
ちなみに「幸福論」という本は出ていたはず。
ちょうど今手元にある、関野さんの対談集には
自由というテーマの話は
ちょこちょこ出ていた気もするけど、
そんなにしっかりと論じてはいないと思う。
 

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